信州 松代

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城下町〜松代

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真田藩十万石の城下町
信州・松代


真田十万石の城下町、松代。
文武学校や旧真田邸、旧横田家住宅など真田家ゆかりの史跡を中心に、
今なお多くの武家屋敷や古寺が残り、往時の面影をしのばせています。


古い歴史と文化、それに伴い風情ある佇まいの町並み、
歴史ある建築物、古さと優雅さが溶け合った街と言えます。



美しい日本の歴史風土100選に選ばれた
城下町の落ち着いた町並みが随所に残っています。

太平洋戦争で掘られた大本営地下壕跡もあり、
古代から近代までの遺跡がびっしり詰まった宝島。
吉田松陰の師で開国を唱えた先駆者佐久間象山、
日本初の本格的近代演劇女優松井須磨子、
おさるの駕籠やなどの童謡を数多く作曲した海沼実をはじめ、
硫黄島の総司令官栗林忠道中将など多くの人材を輩出してきた町です。
松代温泉は効能が良いと人気です。
長いもや杏、松代焼きの産地です





真田家の家紋
 真田氏の家紋は、「六文銭紋」や「六連銭紋」とよばれるもので、
三途の川を渡るときに困らないように…、と
納棺の際に納める「報賽銭」(六道銭)に由来しているそうです。

松代町の案内板や町のあちらこちらに
六門銭が目につきますよ。







松代城
松代城の築城年代は不詳ですが、
戦国時代に川中島で対峙した上杉軍に対する軍事的重要拠点の1つとして
武田家家臣山本勘助が短期間で造らせたの始まりと伝えられています
元和8年(1622)に真田信之が上田藩から移封されると
当初海津城と称していたものを松代城と改称し、
以来、松代藩の藩庁と真田家の居城として明治維新を迎えています
本丸を中心に石垣や土塁、水堀など昭和56年に国指定史跡にしていされています。
その後、太鼓門や北不明門などが復元され平成
18年に日本名城100選に選定されています。





旧真田邸

旧真田邸は元治元年(1864)に松代9代藩主真田幸教の母、
貞松院の宅邸として建てられたものです。
7973uの敷地には長土塀・屋敷門・長屋・白倉や
小堀遠州の流れをくむ庭園などが残り、数が少ない当時の
大名屋敷として大変貴重な存在で国指定史跡に指定されています。






旧樋口家

江戸時代、藩日付役(監察官にあたる役職)などを務め、
江戸時代末期には禄高230石。
住宅は、主屋、士蔵、岳屋、屋敷神、表門、土塀などの建物のみならず、
泉水路や池等によって構成される庭園が一体となって、
幕末の敷地割をそのまま残しており、
上級武士の典型的な屋敷溝えがよく残されています。



旧松代藩鐘楼

この鐘楼は城下町に一刻(約2時間)毎に時刻を知らせ、
火事の時の非常時を知らせる為に建てられたもので、
初代の鐘楼は寛永元年(1624)と真田信之が
松代に移封になってまもなく設置されました。
この鐘楼は嘉永2年(1849)に佐久間象山が
電信実験を成功した場所としても知られ「日本電信発祥の遺跡」でもあります。









松代藩文武学校
旧文武学校は松代藩の藩校として九代藩主幸教の代の
嘉永6年(1853)に完成しました。
校内には正庁・東序・西序・剣術所・柔術所・弓術所・文庫蔵・
番所・門などが設けられた本格的なもので当時では
最先端であった西洋医学や西洋砲術なども教えていたそうです。
現在の旧文武学校の建物群は開校当時の姿のまま保存されており
全国的に見てみも貴重な存在として昭和28年に
国指定史跡に指定されています。







象山神社

象山神社の創建は昭和13年、幕末、松代藩出身の時代の先駆者
佐久間象山を祀る為社殿が建立されました。
佐久間象山は文化8年(1811)に松代で生まれ鎌原桐山や佐藤一斎に師事、
多くの門弟を持ち勝海舟や坂本龍馬、吉田松陰などに
大きな影響を与えたと言われています。

政治家としても有能で多くの新田開発や治水事業、鉱物採掘等を行い、
日本で最初の電信開発者としての科学者としての一面もありました。
象山神社の本殿、拝殿・祝詞殿、宝殿、絵馬殿、斉館、社務所は
平成17年に国登録有形文化財に指定されています。







松代町の武家屋敷

旧横田家住宅

禄高150石の中級藩士で郡奉行などを努めた横田家の住居。
寛政六年( 1794 )に建てられた主屋や文政三年( 1820 )に
移築されたという隠居屋等の屋敷構えは、江戸末期における
地方藩士の生活様式を伝える貴重なものとされています。
国指定重要文化財。


旧白井家表門

白井家は、元方御金奉行・御宮奉行などを務めた中流階級に属する武士で、
もともと表柴町に居宅があった。公開されている表門は、江戸時代の弘化三年
( 1846 )に建てられたもので、平成十二年に現在地へ移転復元、今日に至っています。
矢沢家の表門 矢沢家は石高1400石の上級武士で代々筆頭家老を歴任した家柄です。
現在の矢沢家住宅の表門は寛政4年(1792)に再建されたもので、入母屋、瓦葺きの
長屋門形式、両側に同心部屋を配置しています。
屋根の鬼瓦や破風には真田家と縁があるものに許される六連銭が施され
格式の高さを感じさせてくれます。
山寺常山亭 山寺家は石高160石の中級武士の家柄で代々松代藩に仕え、幕末には鎌原桐山と佐久間象山とともに松代の三山と称される山寺常山を輩出しています。現在の表門は江戸時代末期から明治時代初頭に建てられたと推定される建物で、寄棟、桟瓦葺き、長屋門形式、間口の広さは松代の中で最大級とされ、敷地内にある書院は大正時代末期から昭和初期に建てられた建物で当時の近代和風の様式を伝える貴重なものとされます。主屋やその他の建物は大正時代に解体され敷地全体が庭園として整備されています




真田宝物殿

武田信玄の重臣だった真田一族は
真田昌幸、幸村と上田城の合戦、大坂
の陣と戦国のヒーローです!

真田家に伝承されてきた宝物を展示する博物館。
真田家十二代幸治氏が寄贈したもので、

 日常生活で使用された什器類のほか、
初代藩主真田信之が着用したとされる甲冑、
国重要文化財に指定されている「青江の太刀」、
石田三成が真田昌幸宛てに送った密書などが展示されています。





真田勘解由邸
真田勘解由の家は2代藩主信政の子息である
勘解由信就を始祖とする真田家の分家で
同家から4代藩主を信弘を輩出しています。
宅邸は国登録有形文化財に指定されています。
主屋は江戸時代末期に藩主の館、花の丸御殿の一部を
移築したと伝えられているもので、木造平屋建(一部、中二階)、
桟瓦葺で藩重役の住居としての趣を有しています










長国寺
松代藩主真田家の菩提寺です。

境内には歴代藩主の墓と国指定重要文化財の
霊屋二棟(初代藩主真田信之と四代信弘)、
真田家歴代藩主の墓や信之の祖父幸隆らの供養塔、
松代藩の家老勝手掛として藩の財政を建て直し、その経緯を書き綴った
「日暮硯(ひぐらしすずり)」の著者恩田木工民親の墓があります。


 本堂奥にある二棟の霊屋は、左が初代藩主真田信之(国指定文化財)、
右は四代藩主信弘のもので、本堂屋根にある真田家の定紋「六文銭」が印象的です。







大英寺 
徳川四天王の一人として名高い本田忠勝の娘(後に家康の養女)で、
初代松代藩主真田信之の夫人となった
小松姫(大蓮院)の霊屋(本堂)がある。県宝指定。








松代・象山地下壕

太平洋戦争末期、本土決戦に備えて極秘のうちに大本営、
政府各省庁等を松代に移すという計画の下に構築された地下壕・遺構群です

総延長6kmのうち西条口の約500mを、長野市が管理して公開しています。

昭和19年11月から翌20年8月15日の終戦の日まで、
およそ9ケ月の間に当時の金額で2億円の巨費と
延300万人の住民及び朝鮮人の人々が労働者とし
強制的に動員され突貫工事をもって構築したもので
全工程の75%が完成しました。

地下壕は20メートル間隔に採掘され、
50メートルごとに横への連絡坑でつながっていて、
なかは、ひんやりとして涼しく、静寂です・・・





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